音コンの歴史

音コンの歴史

日本音楽コンクール90年を振り返る

楽壇最高の登竜門として知られている「日本音楽コンクール」の開催は、すでに90回を超えている。これまで数多くの有望な新人音楽家を世に送り続けており、応募部門の多さと高い水準により世界の音楽文化の振興に寄与している。

第1回 / 1932年

増沢健美氏などが発案、野村光一氏や堀内敬三氏が楽壇の有力者らが協力し、旧時事新報社の主催で「音楽コンクール」が発足した。「卓越せる実力を有する音楽家の推薦」「楽壇レベルの向上」が目的。以来毎年1回開催、現在に至っている。

東京会館での「音楽コンクール」創設総会

東京会館での「音楽コンクール」創設総会

第6・7回 / 1938年

日華事変により、1937年の開催を1938年に延期。この年から毎日新聞社主催となった(時事新報社を合併したため)。日華事変、太平洋戦争の拡大により各種の文化活動は次第に衰退したが、「音楽コンクール」は敢然と続行された。

1938年審査風景

1938年審査風景

第13回 / 1944年

戦争の激化により「コンクール」という外国語を使えず、「音楽顕彰」の名称で開催した。

第14回 / 1945年

 終戦で社会情勢も混乱を極めていたため、第14回を翌1946年の春に延期。「音楽コンクール」の名称を復活していち早く実施した。従って1946年は終戦直後の混乱の中で春、秋の2回開催された。以後、急速に若い有望な音楽家が登場、戦前以上の盛況をみせて今日の国際レベルの足がかりをつくった。

「挙国一致」の幕に戦争の影を見せる音楽コンクール表彰式(日比谷公会堂)

第16回 / 1947年

 皇后陛下が御出席された。

戦時下の予選・本選風景

第17回 / 1948年

作曲部門に室内楽曲の部を設け、管弦楽曲と併せ両方の審査を行った(1966年の第35回まで。36回以降は毎年交互に行っている)。

第18回 / 1949年

日本放送協会との共催に。規模の拡張と機構の充実を図り、予選・本選が全国へ中継放送されるなど新施策を実施した。

第25回 / 1956年

社会情勢も安定して各方面の文化活動も活発になり、数多くの日本音楽コンクール出身者が海外の国際音楽コンクールを目指すようになった。こうした音楽家のため「特別表彰制度」を設け、ピアノ・声楽・弦楽(バイオリン・チェロ)の3部門の入賞者を交互に審査して毎年1人を海外の著名な国際音楽コンクールに派遣することになった。

第30回 / 1961年

「安宅賞」「レウカディア賞」が新設された(安宅賞は1977年に廃止)。

第30回音楽コンクール本選会へ皇太子ご夫婦ご臨席(東京文化会館)

第30回本選会バイオリン部門

第30回本選会声楽部門

第33回 / 1964年

「松下賞」新設(2008年パナソニック賞に改名、2009年に廃止)。

第36回 / 1967年

本選会の模様をNHKがカラー映像で放送。東京都交響楽団の協力を得て本選会でオーケストラと共演するようになり、これまで以上の注目を集めた。「加藤賞」新設。

第47回 / 1978年

「河合賞」新設。

第50回 / 1981年

NHKホールで、50回記念の大演奏会を行った(指揮=森 正、管弦楽=NHK交響楽団、独奏=藤原真理・海老彰子、三重奏=江藤俊哉・堤 剛・松浦豊明の各氏)。「増沢賞」新設。

第51回 / 1982年

第51回から名称を「日本音楽コンクール」と改称。また、採点方法をこれまでの「増沢方式」から「点数制」とし、空位(該当者なし)も認めることになった。「黒柳賞」「福沢賞」が新設された(福沢賞は1994年に廃止)。

第52回 / 1983年

「木下賞」が新設された。

第54回 / 1985年

「井口賞」「鷲見賞」が新設された。

第55回 / 1986年

多くの日本人が海外のコンクールで活躍するようになったため、「国際音楽コンクール参加特別表彰」を別建てとせず、「海外コンクール参加のための表彰」として本コンクールに審査を組み込むことになった。

第57回 / 1988年

「野村賞」新設。tはピアノ部門最優秀者に。「コンクール委員会特別賞」が新設された

東京・内幸町のイイノホールでの予選会

第60回 / 1991年

第60回からは声楽部門を「オペラ・アリア」と「歌曲」に分けて、隔年ごとに実施することになった。また管楽器部門の審査はフルート、クラリネット、トランペットの三種に絞られることになった。採点方法は今回から25点満点の最高、最低点カットの合計制を採用。また、創設60周年を記念して内外で活躍中のコンクール出身者12人が出演して3日間にわたってBunkamuraオーチャードホールでガラ・コンサートを開催、NHKテレビでも放送され反響を呼んだ。「安田賞」が新設された(2004年に明治安田賞に改名)。

第60回表彰式(東京都内のホテルにて)

第61回 / 1992年

 中断していたコンクール各部門優勝者を集めた受賞者発表演奏会を60回を契機に復活させ、第1位に輝いた4部門の入賞者が東京芸術劇場大ホールで共演した。会場は2000人を超えるファンで埋まり、NHKテレビで2回にわたり放送された。

第62回 / 1993年

 第62回から本選会の会場が日比谷公会堂から東京芸術劇場大ホールへ移されることになった。「三宅賞」が新設された。

第62回本選会(東京劇場)

開演を待つ人たち(東京・池袋の東京芸術劇場にて)

第64回 / 1995年

演奏部門に限り、第2予選(ピアノ、バイオリン、フルート部門は第3予選)で獲得した点数の60%を本選の点数に加算した合計点をもとに順位を決定することになった。

第66回 / 1997年

第66回から審査部門を6部門とし、管楽器部門はオーボエ、ホルンを増設することになった。

第67回 / 1998年

第67回から本選会の会場は東京オペラシティ コンサートホールへ移されることになった。

第70回 / 2001年

第70回を記念してコンクール出身者7人が出演するガラ・コンサートを東京オペラシティ コンサートホールで2回にわたり開催した。記念の作曲委嘱も行い、サントリーホールで2回上演された。第70回の本選会を東京文化会館大ホールで行うことになった。「徳永賞」が新設された。

第72回 / 2003年

「岩谷賞」(聴衆賞)新設。

第73回 / 2004年

「吉田賞」新設。

第77回 / 2008年

作曲部門本選会の採点において、譜面審査会で獲得した点数を加算しないことになった。

第80回 / 2011年

創設80周年を記念して、2日間にわたりNHKホールでガラ・コンサートを開催。国内外で活躍中のコンクール出身者12人が出演して、大きな反響を呼んだ。

第83回 / 2014年

三善賞新設

第85回 / 2016年

瀨木賞新設

第91回 / 2022年

畑中賞新設

第92回 / 2023年

INPEX賞新設

第93回 / 2024年

本選出場者の1位から5位を入賞者として選出できるようになった。

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